2013/10/19 大統領の料理人

銀座シネスイッチ2で「大統領の料理人」鑑賞。
ミッテラン前仏大統領(François Mitterrand)に仕えた女性料理人の実話をもとにした作品である。
数年前、産経新聞に各国首脳の食にまつわるエピソードを取り上げた「食の政治学」というエッセイが連載された。この中にミッテラン前仏大統領にまつわる一節があり、亡くなるわずか一週間前、氏自らが主催した大みそかの晩餐会で見せた、食に対する並々ならぬ執着心が描かれている。死を予感しているであろうミッテランの食への執念と「ズアホオジロのroti(ロティ:焼き鳥)」という禁断の匂い漂う、ちょっとグロテスクなメニューに私はいたく興味をいだき、予てよりもう一度その文章を確(しか)と読み直したいと思っていたところ、この作品の存在を知り、めったに行かない映画館に足を運んだ次第である。
ミッテランに仕えた料理人の、実話を基にした作品ということであれば、作品のクライマックスにこのエピソードが据えるられることは自明のことであり、フォアグラや生ガキに続いて、ズアホオジロのロティを食べ終え、そっとナプキンを置き、静かに長椅子に横たわった元大統領の愉悦の表情と棺の中でトリコロールに包まれた死に顔がクロスディゾルブして「La Fin」となる、であろうと勝手に最後のシーンを思い描いて、大いなる期待を胸に鑑賞に臨んだのである。がしかし、本作品の中で、女料理人オルタンスは大統領が引退するずっと前に官邸内での確執に疲れ果てて辞職するという内容で、事実、本作のモデルとなった料理人ダニエル・デルプシュ(Daniele Delpeuche)が大統領官邸料理人を勤めたのは1988年から2年の間であり、ミッテランがジャック・ルネ・シラク(Jacques René Chirac)に大統領の座を譲るのは1995年であるから件のエピソードより遡ること5年以上前のお話であった。残念。
本作の中で大統領が料理人オルタンスに所望するのは、フランスの家庭料理つまり母や祖母の味である。と、言われて我々日本人が思い浮かべるのは、ヌカ味噌漬けであり、野菜や豆の煮物、ひじきや切り干し大根、私の故郷であれば、十全ナスの漬物や、身欠きにしんと車麩の入った煮物あたりであろうか。現在の食生活に比べてはるかに低脂肪でローカロリーなものを思い浮かべるが、彼の地で言う伝統の味はその逆である。健康志向に走ったり、あろうことか日本料理の影響を受けて軽めのソースを信条とするようなものはフランス家庭料理の風上にもおけないのである。デザートも砂糖やバター、クリームやチョコレートをたっぷり使って「調理」したものでなくてはならず、日本の会席料理の最後に出てくる水菓子などは単に果物を切っただけの手抜きと見なされるようである。また、作中出てくる大きめの舌平目と野菜がごろごろ入ったスープを見ると、日本の鍋物、おでんも含めて全てスープに分類されるのではないかと思う。
最後に、ミッテラン大統領を演じたジャン・ドルメッソン、見るからに好々爺然として癒されるのではあるが、核ミサイル発射の最終責任を負う、核保有国フランスの 第五共和政 第4代大統領にはどこからどうみても見えなかったのである。

<食の政治学(産経新聞社の本)より一部引用させていただきます>————

約三十個の生ガキにフォアグラ、丸焼きシャポン(肥育鳥)二、三片、ズアホオジロ二羽。一九九六年一月八日に前立腺がんで死去したミッテラン前仏大統領が、その一週間前の大みそかに食べたごちそうである。この大統領にかわいがられ、最後の晩餐会に招待されたジャーナリストのジョルジョマルク・ブナモ氏は著書『最後のミッテラン』の中で、末期がんの苦痛に耐えながら「同じ熱心さ」で数個ずつ載せられた生ガキの皿を何枚も重ねていく前大統領の壮絶な姿を描いている。
ズアホオジロは仏南西地方に多いホオジロの一種で珍味で知られる。捕獲が制限されており、特別ルートでないと入手できない。前大統領は「ズアホオジロのない大みそかなんて」と言って毎年、楽しみにしており、この年もクリスマスを過ごしたエジプトから「塩気の少ない生ガキ」とともに家族に注文したそうだ。
頭も羽も足も付いた状態でロチ、つまり焼き鳥にし、骨をかみ砕き、血汁をすすって丸かじりにするという食べ方なので、敬遠する人も多い。前大統領が大満足だった様子は「長い間、完全な沈黙の中で彼がこの動物にかかりきりなのを私たちは聞いていた。作業が終わると彼はゆっくりと後ろに頭をそらして伸びをした。エクスタシー」と描写されている。


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