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2015/6/13 へたな考え第二弾

先日に引き続きへたな考えをしてみる。

先週はボケ予防に構造主義の入門書を読んで、益々ワケがわからなくなってしまったが、
またまた更に訳の分からない「量子」という世界があることを知ってしまったのだ。立花隆さんの「臨死体験」にも脳の解明は今後量子脳力学のアプローチで考えるしかないであろうという一文があって気にはなっていたけど。

そこで「量子」をググってみると、どうやら原子核より小さな世界は物理学ではなく量子力学でしか説明できない領域で、かのアインシュタインも手に負えなかった摩訶不思議な世界のようである。

原子核の周りを飛び回る「電子」とか最近よく耳にする「クォーク」などを量子と称するようで、何より奇っ怪なのは、普通の物体は物質があって状態がある、例えば私たちが普通に考えると水というモノがあってはじめて波がある。ところがこれら量子は状態のみがあるという、つまり水はないけど波だけがある状態?

先日は構造主義の入門書から立花氏の臨死体験関連のコンテンツを連想して意識が肉体のどの部位に有るのか、或は外部に有るのかを愚考してみましたが、その肉体を構成する全ての細胞の、その細胞を構成する全ての分子の、分子を構成する原子さらにその中の原子核の中に状態だけの世界があるのです。擬態語だけの世界。正にオノマトペの宇宙です。

赤塚先生が生きていたらきっとギャグのネタにしてたんじゃなかろうか。真っ暗な押し入れの中に「シーン」とか「つるつる」とか「じろじろ」がいて、パパに見つかってひどい目にあうとか。

そこで、よせばいいのに、またまたこんなことを考えてみました。

一人一人は砂浜に取り残された水たまりで、時期が来て潮が満ち、水たまりの「水」はすべて大海原に還元されます。「水」が魂であり、この現象を我々は「死」と呼んでいます。

水たまりの「形」こそが個体の属性をもっています。PCのアイコンを右クリックするとプロパティが表示されるようなものです。そこには本能属性もあって母子未分化の快適な状態に戻ることを常に求めてくる。

そのため苦痛も快感もまざまざとあって生きている実感というかたちで、スタンドアローンで、或はオールインワンで確(しか)と実存することを精緻を極めたスーパーリアリズムでバーチャル体験させてくれる。

我々が感じている時間感覚も「水」レベルで考えるとまったく別の様相になるんだろうな。

自他が皮膚に隔てられて独立していると考えるのも、物理的に移動していると感じるのも、私たちがビッグバンによってはじまる宇宙史のある時点に存在しているというお話しもそれを信じる感覚も、「水」が砂浜の水たまりに注がれた瞬間「形」に与えられる属性なのかな。

水たまりの「形」に「水」が注がれ始め、満たされるまでの間、段階を踏んで様々なことが心象風景として現れてきます。同時に与えられた「心象風景と連動して発生する五感(連動しないと体外離脱感を常に持つ事になるからね)」と欲望が、あたかも深部腱反射のように「形」に信号を送る事により、実存しているという強い感覚を与えます。

やがて水たまりの「形」は満ちてきた潮にさらわれ死とともに消失します。
しかし、水たまりの「水」つまり「魂」は死によって消滅することはありません。

「水」は巨大なエネルギーの海に還元します。そしてAという水たまりにあった水は巨大な海に統合されAという状態では二度と復元することのない不可逆な時間の流れを辿ります。

元々「水」は水たまりにあった時から「巨大な海」とは分離されているようで実は不可分一体、「粒」であって「波」なのです。

「形」の方から働きかけて「水」に僅かといえども影響を与えることはありません。なぜならスクリーンに投影された影がその映し出された形によって本体の有り様を変えることはないですもんね。

だから、幽霊は魂のレベルではあり得ないような気がします。
水たまりの「形」の中にキャッシュやノイズとして残っていて、それが精神状態に呼応して像を結ぶってことはあるかもしれない?

以上、へたな考え第二弾でした。