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2018/01/13 オリエンタル マースカレー

今年最初の土曜出勤である。
昼は「オリエンタル マースカレー」のレトルト。
ライスは家から持ってきた。

マースカレーをオリエンタルのサイトで調べてみると発売は昭和37年、マース(MARS)とはMango、Apple、Raisin、Spiceの略語らしい。と言ってもスパイシーさはほとんどなく、フルーツのせいか、かなり甘口で、福神漬がいらないくらい。昭和30年から40年当時のカレーといえば、玉ねぎ、人参、じゃがいもに肉の薄切りがひとつふたつ浮かんで、あとはカレー粉の味のみという、懐かしいけど今と比べれば味も香りも単調なものだったような気がする。そこにこのフルーツの甘さをコンセプトにしたカレーが登場したわけで、1年後に「りんごとはちみつ」の甘口のバーモントカレーが発売されたことにより子供も巻き込んでカレーライスは一大国民食へと発展したわけである。

小学生時分、オリエンタルのコマーシャルで記憶にあるのはマースカレーではなくオリエンタル即席カレーのもので、白黒のテレビから盛んに流れていた「君知るや〜君知るや〜オ〜リエンタルカレ〜」は今でも耳に残っている。

後に南利明のCMで一世を風靡した「ハヤシもあるでよ」はマースカレーではなく、オリエンタルスナックカレーというレトルト商品で、1969年(昭和44年)以降のものである。因みにスナックカレーはCMの大人気にも関わらず販売期間5年間の短命に終わった商品であったそうな。

当時の即席カレーは粉末だったように記憶しているが固形のカレールウも意外に早くから商品化されていたようである。
固形ルウの一般家庭への普及とともに肉と思って口に入れるとカレー粉のかたまりでがっかりするということも徐々になくなっていったような気がするがどうであろうか。

ハウス食品のサイトによれば「昭和25年朝鮮動乱勃発のこの年既に日本初の固形カレールウ登場。この年にカレーメーカー各社(エスビー、ベル、キンケイ、テーオー、オリエンタル、蜂、メタル、ハウスなど)の製品が出そろった」とある。

ベル、テーオー、蜂、メタルなどあまり馴染みのないメーカーだが今でも商品を出しているようなので、味噌やソース同様ご当地カレーと言えるのかもしれない。今度旅先で見かけたら買ってみよう。

当時はしゃれた厚手の煮込み用の鍋などなかったから黄色いアルマイトの鍋で味噌汁から煮物からすべて作っていたものである。
あの薄いアルマイト鍋で材料を炒めると、最近のしっかりした板厚の鍋で炒めたものとは立ってくるにおいが明らかに違って、薄い板金を通して直火に近い状態で熱せられた油の香ばしい匂いというのか、それが汗まみれで遊びまわる子供らの食欲をおおいに刺激したものだった。

マースカレーから昭和のカレー事情に思いを馳せる昼飯時である。


2017/10/14〜16 五能線の旅 04


晩ご飯はロビー横の食事処で。鍋があらかじめセットされていた。珍しい醤油ダシの海鮮鍋である。美味しいよね醤油汁。

白和え


エビの真薯を揚げたものと思われる。

お酒は安東水軍。

最後のご飯のおかずに白菜と豚肉の蒸し物。それぞれ美味しいけど、ベストマッチングではないかな。

最後、ぶどうが出て終了。余計なもので品数を増やすこともなく、量もちょうどよくて良かった。

ご飯のおともオールスターが並ぶ朝ごはん。
特筆すべきは「もずく」。シャキシャキとしていつものモノとは全くの別物である。これは買って帰らねば。

翌日は昨日同様、五能線を更に北上し、終点の弘前に向かう。朝から喉を潤すことは忘れない。

生まれ青森五所川原、はぁ、いっぺん来てみねが、の五所川原

お〜いわ〜きぃやまぁ〜で、手をふぅった〜♪、の岩木山

歩いて弘前城へ向かう。途中、郷土料理の店「菊富士」でお昼にする。私は地元グルメ「いがメンチ定食」。いがメンチとはイカのメンチカツが訛って「いがメンチ」になったのである。


有料ゾーンには工事中でゴタゴタしていたのともったいないから入らずに、遠巻きに見るだけにした。本丸はサキッポしか見れなかったが、染まりかけた木々が美しい。

この日は青森まで出て、ホテルJALシティ青森泊、ホテルの真ん前の「一八寿司」で晩御飯。
ここのもずくもやはり昨日、宿で出たもの同様、シャキシャキである。このもずくはうまいなぁ。

鰺ヶ沢の販売センターでも売っていた青森産タコを塩で、タコは塩でも醤油でもウマイ。

焼き穴子。

お寿司はセットで。中々おいしいお寿司でした。特にマグロが美味しかった。ひょっとして大間のまぐろ?


これは翌日、青森駅前のアウガ新鮮市場で魚を買って、市場内にあるラーメン屋さんで食べた煮干しラーメンとホタテ塩ラーメン、ちょっとしょっぺ。
以上、五能線の旅 完